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米寿お祝い

大学勤めの時にお世話になったK先生米寿お祝いの会に行った。K先生はちょっとゆっくりなしゃべりになったけれど相変わらず、皆に聞かせるお話は面白
かった。

戦争末期では医療器具も薬も少なく、被弾した者は切断以外の治療しかなかったので、滅菌もままならない環境の中、毎日そんな手術やどうしようも
ない怪我や病人ばかり診ていたので、もう臨床はやめて研究の道に入ろうと決意したという。また、軍医の上司で戦闘機の操縦もこなす方がいて、飛行機に乗っ
ている時の血圧や血液など航空機環境が人体に与える影響状態を調べたりしてることを知り、面白いと思ったこともきっかけだったらしい。その後、その方とはK
先生がJ大学に教授として赴任した時に、公衆衛生の教授になっていて、再会したという。

また、横須賀の海軍にいたころ、特攻隊に志願してくる人たちを夕日の中で見送り、申し訳ないという気持ちがずっと心の中にあった。50歳のころ
仕事に余裕もできたので町の合唱団に誘われ、入団したところ偶然にもモーツアルトやベルディのレクイエムを定演でやるような合唱団だった。そのとき自分が
このような鎮魂歌を歌うのは、あのとき見送った人々に捧げるためと思い、仕事が忙しくても休まず通ったと、時々涙を流して語られてたのが印象的だった。

そのようなお話を今日K先生から直接お聞きできたことを私はとても幸せだと思った。

2010年11月13日 カテゴリー:徒然